スタニスラフ・ブーニン

Stanislav Bunin

Piano

 スタニスラフ・ブーニンは、ソヴィエト・ピアノ学校の著名な設立者で、リヒテル、ギレリス等の巨匠を育てたゲンリッヒ・ネイガウスを祖父とし、ポーランドの作曲家カロル・シマノフスキーの血筋を引き、1966年モスクワに生まれた。
 83年から既に、説得力のある確かな演奏でヨーロッパの音楽界で名声を得ている。フィガロ紙は当時、僅か17歳の少年を「魅力溢れる音楽的人物」と評している。パリのロン=ティボー国際コンクールで優勝後、モスクワ音楽院附属中央音楽学校在学中早くもモスクワ国立交響楽団のソリストとなる。
 その後モスクワ音楽院に進み、85年ワルシャワで開催された第11回ショパン国際ピアノ・コンクールで優勝、あわせてコンチェルト賞とポロネーズ賞を獲得した。その後、87年のミュンヘン・ピアノの夏音楽祭でドイツへの華麗なデビューを果たし、ドイツ・グラモフォンやソニー、その他でショパンやドビュッシー、シューマン等の作品を次々と録音した。
 ブーニンの音楽的経歴の新たなステップは、88年ドイツへの移住とともに始まった。名高い数多くの国際フェスティバル−ルツェルン国際音楽祭、モンテカルロの春、フローレンス5月音楽祭、トリノ9月音楽祭、シュレスヴィヒ=ホルシュタイン音楽祭、ザルツブルク音楽祭、その他に出演。またブレーシャ/ベルガモ国際ピアニスト・フェスティバルでは定期ゲストとして演奏、87年以来、聴衆に最も人気のあるピアニストである。88年より東芝EMIと専属契約を結び、バッハ、モーツァルト、ショパン、ベートーヴェンと既に10枚以上のCDを録音。《バッハ・リサイタル》、《モーツァルト:室内協奏曲》は、90年の日本ゴールドディスク賞を獲得し、ヨーロッパでも高く評価されている。
 著名なオーケストラとの協演も多く、フランス国立管弦楽団(G.プレートル)、ニューヨークのカーネギーホールでボストン交響楽団(D.ジンマン)、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団、チューリッヒ・トーンハレ交響楽団(J.クレンツ)、ワルシャワ・フィルハーモニー管弦楽団(K.コルド)、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団(G.シノーポリ)、NHK交響楽団(外山雄三)、アンサンブル金沢(G.ピヒラー)、デラ・アカデミア・ディ・サンタチェチーリア(D.ガッティ)、モンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団(G.ジェルメッティ)、イ・ソリスティ・ベネティ(C.シモーネ)、ベルガモ室内オーケストラ、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団(F.ウェルザー=メスト)等と協演しているほか、96年6月にはソリストとしてベルリン・フィルの定期演奏会に出演、ドイツを代表する若手指揮者クリスティアン・ティーレマンとの共演は、大好評を博した。
 ミラノ・スカラ座やロンドンのバービカンセンター、パリのサル・プレイエルやシャンゼリゼ劇場、ウィーンのムジークフェラインでの演奏は記憶に新しく、ミュンヘンのレジデンツザールやガスタイク、フィルハーモニーザール、チューリッヒのトーンハレ、フランクフルトのアルテ・オパー、東京のサントリーホール、またモスクワやプラハ、ブダペスト、ワルシャワ、イスタンブール、台北、ソウル、香港等でのリサイタルは高い評価を得ている。
 日本では50以上の都市で演奏活動を行う以外に、洗足学園大学で数年にわたって教鞭をとる一方、「21世紀の子供たちへ捧げる」と題したガラ・コンサートを行い、クラシック音楽の継承者たる才能ある子供たちを発見、教育、援助していくことの必要性をうったえた。この公演にはヴァイオリンの徳永二男氏をはじめ公演の主旨に賛同した指揮者、ソリストが出演。また、各方面からの暖かい協力が寄せられ大きな成功をおさめた。
 1999年冬、ヨーロッパにおける演奏活動が高く評価され、“Viottid’Oro賞”(イタリア)を受賞。この賞は、これまでロストロポーヴィチ、ムーティ、アバド等が受賞しており、ピアニストとしてはミケランジェリ以来の受賞となる。
 ショパン没後150年にあたる1999年より、イタリアを中心とするヨーロッパ各地及び日本で全8回におよぶ〈ショパン・チクルス〉を開始。ショパン・イヤーの中でもその意欲的な企画は注目を集め、2001年11月に締めくくりとしてワルシャワ・フィルと協演、あのショパンコンクールの「再現」を果たすと同時に東芝EMIより日本公演ライヴ盤としてショパンのピアノ協奏曲1番、2番を発売、絶賛を博す。2002年秋の日本ツアーでは、アンサンブル金沢との協演も含め、全国8箇所でリサイタルを開催、シューベルト、ラフマニノフ、プーランク等を演奏し大成功をおさめた。また2003年のリサイタルが大好評につきEMIミュージック・ジャパンより初のシューベルト録音を含む待望の新作が2004年1月にリリースされた。
 また2004年2月にはポーランドのショパン“ナショナル・エディション”のために“25の前奏曲”(op.28,op.45)と“舟歌”op.60をCD録音した。2005年春、東京・大阪・名古屋でモーツァルト生誕250周年記念として2台のピアノのための協奏曲をバリーダグラスと(リスタ・サーヴィチ指揮、ドイツ室内管弦楽団)共演。大好評を博す。
 2005年11月にはショパンコンクール優勝より20年、全国各地で、オール・ショパン・ピアノリサイタルを開催。各公演満員の盛況を博した。2007年8月にはワルシャワにてアントニ・ヴィット指揮、ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団とショパンのピアノ協奏曲第1番を共演、新聞、雑誌等にも取り上げられ大好評を博した。尚、2007年11月、G.ピヒラー指揮・アンサンブル金沢とのベートーヴェンピアノ協奏曲第3番がEMIミュージック・ジャパンより発売、2004年、2006年2008年6、7月、プラハ放送交響楽団日本ツアーではショパンのピアノ協奏曲第1番、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番等を共演、
 2008年11月には日本デビュー20周年記念ツアーを全国で開催。2009年ワルシャワ国立フィルハーモニーとの日本公演もショパンのピアノ協奏曲第1番を共演、大成功に終わり、このライブ録音も2010年1月にEMIミュージック・ジャパンより発売された。
 本年1月、ジャズピアニストの山下洋輔プロデュース「IMPROVISINGブーニン!」に出演、山下氏とのピアノ・デュオ、初のジャズ演奏を披露、注目を集めた。また、生誕200年を迎えたショパンの誕生日3月1日にはショパンが愛したピアノ「プレイエル」で演奏、TV、新聞、雑誌で大きく報道される。
 7月にはショパン生誕200年とブーニンのショパンコンクール優勝25周年を記念してチャリティ・ガラコンサートが開かれる。またベルリン交響楽団、日本ツアーにも共演し、大成功をおさめた。
 また、8月にはワルシャワで、アルゲリッチ、ダン・タイソン等も参加し、1ヶ月に亘って開催された「ショパンフェスティバル」の最終日にワルシャワ・フィルと「アンダンテスピアナートと華麗なる大ポロネーズ」「ピアノ協奏曲第1番」を共演、そのトリを飾った。演奏後の拍手は鳴り止まず、満員の聴衆を魅了した。

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